サイレンの音を聞くと、今でも胸が少しざわつく。
24年間、救急救命士として走り続けてきた。
真夜中だろうが、119が鳴れば現場へ向かった。
人の命と向き合うというのは、いつも“答えのない仕事”だった。

あの頃の俺は、いつも気を張っていた。
「一秒でも早く」「一人でも多く」。
ただそれだけを信じて現場に立っていた。
だけど——その緊張の裏で、
家族との時間は、どこか置き去りになっていた気がする。
今、台所で料理を作りながら思う。
“命を救う”って、現場だけの話じゃない。
家族と笑い合うこの時間だって、立派な“救命”なんだと。
疲れて帰った妻の表情を見て、
「おかえり」と言葉をかける。
それだけで、人は少し救われる。
子どもが学校の話をして、俺が「すごいな」と笑う。
それも立派な救命行為だと思う。

命って、特別なもののようでいて、
本当は“日常の中”にある。
朝ごはんを作ることも、洗濯をすることも、
誰かの「生きる力」を支える行動だ。
救命士の頃、患者の手を握りしめた瞬間があった。
「もう少し頑張ってください」
その言葉に、患者が微かに頷いた。
あの一瞬の“命の灯”が忘れられない。

そして今は、夕食の食卓で子どもが「父さん、うまい!」と笑う。
その笑顔を見ると、思う。
――あぁ、これも命を救ってるんだな。
誰かを生かすのは、医療の技術だけじゃない。
“寄り添う力”だ。
現場でも家庭でも、それは変わらない。
救命と日常。
どちらも命を救っている。
片方が派手で、もう片方が地味に見えるかもしれない。
でもどちらも尊い。
どちらも、命の物語だ。
俺は救命士をやめたけれど、
命を救うことはやめていない。
今は、家庭という現場で、心の救命を続けている。
そして思う。
「人を救うこと」と「人を想うこと」は、
結局、同じことなんだと。
今日も台所で料理の湯気を見つめながら、
静かに思う。

――俺はまだ、“命を救っている”。
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