大学生の頃、私は実家を離れて下宿していました。
帰省後に下宿先へ戻る日になると、母が決まって私にアルミホイルで包まれたおにぎりを数個、袋に入れて持たせてくれました。
「電車の中でお昼に食べなさい」
そう言われても、当時の私は正直、ありがたさよりも「なぜ?」のほうが勝っていました。
「いらねー」「うざい」——そんなふうに感じていたのです。

大人になった今、同じ行動をしている自分
それから年月が経ち、私は五人の子どもの父になりました。
先日、社会人になって一人暮らしをしている長男が帰省してきて、家に帰るときにタッパーに私の手作り料理を入れて渡していた。
その瞬間、ふと気づいたのです。
「……あれ? 俺、親と同じことをしている」
その気づきは、まるで過去と現在が重なるような感覚でした。

なぜ、親はあれをやっていたのか?
親の行動を“自分が親となった体験”を通して振り返ると、ようやく見えてくるものがあります。
- 子どもに食べさせたい
- 元気でいてほしい
- 少しでも心の支えを持たせたい
当時の私は気づけませんでしたが、あのおにぎりには「子どもへの気遣い」という非常にシンプルで本質的な想いが込められていたのです。
そして今の私は、全く同じ気持ちで子どもと接している。
「親としての感覚」を体験して初めて、あの頃の親の行動の意味が腑に落ちました。
この出来事から得られる3つの教訓
① 理解は“言葉”ではなく“体験”によって深まる
福祉現場でも、人材育成でも、相手の立場に立って初めて分かることがある。
② 本当に価値のある行動ほど、当事者にはすぐ理解されない
「今は分からなくても、未来に効く行動」が確かに存在する。
③ 真心は合理ではなく“行動”で伝わる
説明より、実際に届けられる行動のほうが人の心に残る。
時間をかけてようやく理解が進むこともある
私が大学生だった頃は理解できなかった親の行動が、
自分が親になった今、ようやく見えるようになりました。
福祉でも、ビジネスでも、人間関係でも同じです。
今は理解されないことでも、
“時間”と“体験”が揃ったとき、自然と分かる瞬間が来る。
目の前の相手がしてくれている小さな行動には、
もしかしたら「未来でやっと分かる優しさ」が隠れているのかもしれません。
コメント