今日、長女のマラソン大会があった。

朝から冷たい風が吹いていて、校庭に響く先生の声が、妙にシャキッと耳に刺さった。
PTA役員として立ち位置を確認しつつ、
俺はふと子どもたちの顔を見渡した。
スタートラインに立つ小さな背中。
どの子も、緊張で肩が少し上がっていた。
「よーい……スタート!」
一斉に地面を蹴る音が広がる。
砂埃がふわっと舞い上がって、冬の空気の匂いに混じった。
走るのが速い子、遅い子、いろんなペース。
でも驚いたのは——
歩く子がひとりもいなかったことだ。
そして何よりすごかったのは、
最後の子が見えてきた瞬間、クラス全体から自然に声が上がった。
「がんばれー!!」
「あとちょっとだよー!!」

その声は、風よりも、先生の笛よりも大きかった。
なんだろう…あの瞬間の空気の温度だけ、ほんの少しだけ上がった気がした。
俺はというと、
自分が小さい頃のマラソン大会を思い出していた。
正直、苦しかった記憶しかない。
胸が焼けるように痛くて、足は重くて、
「走りたくねぇ…」と何度も思った。
でも今日の子どもたちは違った。
特にうちの長女は、最初から最後までペースを乱さず、
一定の呼吸で、一定のリズムで、淡々と走り続けていた。
あの横顔を見た瞬間、
胸の奥がじんわり熱くなった。
——人って、応援されると走り切れるんだな。
救命士の現場では、必死に応援しても助けられない命もあった。
だからこそ今日の“走り切る姿”は、妙にまっすぐ心に届いた。
応援の声って、不思議だ。
身体に触れていないのに、ちゃんと背中を押す力がある。
そして気づいた。
俺は家族に、ちゃんと応援できているだろうか?
妻に、子どもたちに、
「お前ならできるよ」って声を、
どれだけかけていただろうか?
家ではつい「宿題は?」「片付けた?」みたいな“指示の声”が多くなる。
でも子どもたちは、そんな声じゃ走れない。
家族はレースじゃない。
順位もないし、競争もいらない。
でも——
誰かに応援されていると感じた瞬間、人は最後まで自分の人生を走れる。
今日娘が淡々と走る姿を見て、
俺も家族の“応援団長”でいたいと思った。
あの小さな背中のために。
そして、今日の校庭で聞こえたあの温かい声のように、
家の中にも同じ空気をつくれる父親でありたい。
コメント