正直に言うと、20代の頃の私は料理が面倒で仕方なかった。
仕事が終わって帰宅すればくたくた。
冷蔵庫を開けても、そこにあるのは使いかけの野菜と卵。
「今日はもういいか」と、ついカップラーメンで済ませる日も多かった。
でも、そんな自分にどこか罪悪感があった。
“人の命を救う”仕事をしているのに、
“自分と家族の健康を守る”ことを後回しにしていたからだ。
それでも少しずつ、料理をする時間を増やしていった。
それは「家族のため」でもあり、
「自分がちゃんと生きている」と感じたかったからかもしれない。
家族のために続けた日々と、途中で感じた限界
結婚して子どもができると、料理は毎日の“義務”になった。
朝ごはん、弁当、夕食。気づけば一日中キッチンに立っている。←少し大袈裟
一番つらかったのは、「何を作るか考える時間」だった。
冷蔵庫を開けて5分も立ち尽くす。
家族の好み、栄養バランス、見た目、コスト…。
すべてを考えようとするほど、料理が苦しくなった。
「毎日違う料理を作らなきゃダメだ」
「手を抜いたら父親失格だ」
そんな思い込みが、いつの間にか自分を縛っていた。
でもある日、ふと気づいた。
“料理を続けること”と“完璧にこなすこと”は、まったく別物だということに。

「決めてしまう」ことで救われた瞬間
私は思い切って“決める”ことにした。
金曜日はカレーの日。
器を主菜1・副菜2で区分けされている物に変え、それ以上は作らない。
煮物は電子レンジで時短。
朝食は作り置き。
週に一度は外食か市販品でリセット。
すると不思議なことに、気持ちが軽くなった。
「今日は何を作ろう」と悩む時間がなくなり、
家族も「今夜はカレーだね」と笑顔で言うようになった。
“決める”ことは、自分を縛ることではない。
むしろ、自由を取り戻すことだった。

料理を続ける人の“3つの共通思考法”
20年間、料理を続けてきて見えたことがある。
「続けられる人」には、共通する“思考の癖”がある。
1. 仕組み化思考
料理を“考えずにできる仕組み”に変える。
たとえば、メニューのローテーションや定番曜日制。
脳の負担を減らすことで、継続が楽になる。
2. 自己許容思考
「手を抜いていい日」もルール化する。
完璧主義は長続きしない。
“今日は手抜きでもOK”と自分に許可を出すことが、継続の最大の秘訣。
3. 定番化思考
繰り返しの料理こそが、家族の“安心”をつくる。
同じ味、同じ器、同じ香り。
それは家族にとって“帰る場所”になる。

続けてきた20年で見えてきた“料理の意味”
料理とは、命をつなぐ行為だ。
救命士として人の命を救ってきた私にとって、
「家庭の料理」は“日常の救命活動”のようなものだと思っている。
ただし、支える人が疲れ切っていては、意味がない。
だからこそ、自分を大切にする料理が大事になる。
料理を続けることは、
「家族を愛する」ことであり、
同時に「自分を愛する」ことでもある。
今、料理が面倒だと感じているあなたへ。
完璧を目指す必要はない。
“今日も一品、作った”
それだけで、もう十分に素晴らしい。

コメント