最近、朝6時でも外はまだ暗い。
窓の外をのぞくと、薄い闇が空に残っていて、空気はひんやり張りつめている。

そんな中で、子どもたちは布団に潜ったまま。
「おい、起きるぞ。ほんとに遅刻するぞ。」
声をかけるけれど、反応は鈍い。まるで冬眠中の動物みたいだ。
正直に言うと、俺は焦っていた。
学校に間に合うのか…?
今日もバタバタするのか…?
その焦りが、朝の静けさの中でイライラに変わっていくのが自分でも分かる。
しかも、心のどこかで思ってしまった。
「ああ…この時間、俺の勉強に回せたのにな。」
──けれど、ふと気づいた。
そういえば、俺も子どもの頃、起きられなかったじゃないか。
冬の布団のぬくもりにしがみつき、母親に何度起こされても動けなかった。
なのに、いまの俺は毎朝5時に起きて、中小企業診断士の勉強を続けている。
使命感?責任感?
もちろんそれもある。
でも、もっと根っこの部分。
最近、救急現場で学んできた生理学の感覚がよみがえった。
「あ、成長段階で当然なんだ。」
子どもは体内時計も未成熟で、睡眠ホルモンのリズムも大人とは違う。
“起きられない”のではなく、**“起きる仕組みがまだ完成していない”**んだ。
つまり、責めるべきは子どもじゃない。
責めるべきは、生理的に無理を理解していなかった自分のほうだった。
思わず苦笑いした。
「そりゃそうだよな…子どもに大人の基準を押しつけて、何やってんだ俺。」
その瞬間、肩の力がすっと抜けた。
俺は24年間、出動し続けてきた。
命の現場は“仕方ないもの”ばかりだった。
病気も、障害も、老いも、生理的な現象が多い。
そこには怒りをぶつける相手なんていない。
だけど、家ではどうだ?
“仕方ないもの”にイライラしていた。
お恥ずかしい話だ。
けれど、この気づきのおかげで少し変われた。
次の朝は、子どもの寝顔を見ながらこう思った。
「人は段階を踏んで成長する。焦らず、待てばいい。」
俺はまだまだ未熟だ。
だけど、未熟である自分も、成長段階なんだろう。
子育ても、スタッフ育成も、利用者支援も。
大人も子どもも、
“できるタイミング”というものが、それぞれにある。
それを理解するだけで、人間関係はずいぶん優しくなる。
今日も朝の空気は冷たいけれど、
子どもを起こす声のトーンは、少しだけ柔らかくなった気がする。

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