決算賞与等でボーナスを支給している会社もありますが、一般的には12月ってボーナス時期ですね。
みなさんはもらう方ですか?それともあげる(支給)方ですか?
いずれにせよ、この時期はソワソワしませんか?
ボーナス支給日の午後。
オフィスの空気は、どこかソワソワしていました。
キーボードを叩く音はしているけれど、
誰も画面をちゃんと見ていない。
耳を澄ますと、あちこちで小さな声が聞こえてきます。
「……今年、どうだった?」
「まあ、例年通りかな」
声のトーンは軽い。
笑っている人もいる。
でも、**一拍の“間”**がある。
その間が、妙に長い。
しばらくして、誰かが数字を匂わせる。
ほんの一言、ほんの表情の変化。
すると、空気が変わる。
「いや、お前、もらいすぎだろ」
「は? 全然足りないんだけど」
その瞬間、
さっきまで聞こえていたキーボードの音が、
なぜか一斉に大きくなる。
——ああ、今年もこの季節が来たな。
私は椅子に深く腰を沈めながら、そう思いました。

不思議な会話が、ひとつもない
これ、毎年見ていませんか?
あるいは、直接見なくても、風の噂で聞いていませんか?
不思議なのは、一度も聞いたことがない会話があることです。
「今回、妥当だったよね」
「ちゃんと適正な評価だったわ」
この言葉、私は公務員だったころも
ほぼ耳にしたことがない。
なぜでしょう。
人は欲が深いから?
他人と比べる生き物だから?
確かに、それもあります。
でも、少し引いて見てみると、
別の原因が浮かび上がってきます。
原因は「平等にしすぎた」こと
多くの会社では、評価の場面でこんな配慮が働きます。
- 差をつけすぎない
- 不満が出ないようにする
- 角が立たないようにする
評価シートの数字を眺めながら、
「このくらいで揃えておくか」と調整する。
その瞬間、
場の空気は一時的に“穏やか”になります。
でも、結果はこうです。
- 本当はもっと評価されていい人は「少ない」と感じる
- 調整で上がった人は「多いけど…なんか後ろめたい」と感じる
- そして、全員がモヤっとする
ボーナス明細を見つめる指先に、
じわっと力が入る。
胸の奥が、重くなる。
金額の問題じゃない。
「なぜこの金額なのか」が分からないからです。
平等は、いちばん不公平な評価になる
人は、差があること自体では、そこまで怒りません。
怒るのは、
- なぜこの差なのか
- 何をした結果なのか
これが見えないとき。
つまり、納得感がないときです。
思い出してください。
日本の学校の成績表。
成績は、毎回きれいなカーブを描く。
上がいれば、必ず下がいる。
極端な偏りは、ほぼ起きない。
管理する側からすれば、ラクです。
クレームも出にくい。
でも、
「頑張った理由」と
「評価された理由」が
子ども本人には、よく分からない。
大人の職場でも、
同じことが起きています。
ビフォー:全員が不満な職場
アフター:差があっても、納得できる職場
以前、ある管理職の方が、こんなことを言っていました。
「不平等な評価をしたら、荒れると思ってました」
でも、実際にやったのは、
評価基準を細かく言語化し、
差がつく理由を、事前に共有しただけ。
結果は逆でした。
- 文句は減った
- 陰口も減った
- 面談での表情が変わった
金額に差はある。
でも、
「次はここをやればいい」と分かる。
それだけで、人は前を向けるんです。
勇気を出して「不平等」を選ぶ
もし、今日の話に
少しでも心当たりがあるなら。
一度、勇気を出して
“不平等”に評価してみてください。
それは冷たい判断ではありません。
むしろ、その方が誠実です。
平等は、管理しやすい。
でも、公平は、信頼を生む。
ボーナスの日に、
探り合いの会話が消える職場は、
きっとそこから始まります。
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